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那覇地方裁判所 昭和49年(行ウ)5号 判決

原告 嘉陽宗助 外一一名

被告 浦添市

主文

一  原告嘉陽宗助の被告に対する村道(現市道)一号線のうち別紙物件目録記載(一)の土地についてなされた区域決定及び供用開始の公示の取消しを求める訴え及びその余の原告らの被告に対する市道六二号線のうち同目録記載(二)ないし(一三)の各土地についてなされた区域決定及び供用開始の公示の取消しを求める訴えは、いずれもこれを却下する。

二  被告は、原告古波蔵伍政に対し、昭和四八年三月二九日から右(二)の土地の明渡しずみまで年額金三万五、八〇〇円の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告西原三郎に対し、昭和四八年三月二九日から右(三)の土地の明渡しずみまで年額金三万五〇〇円の割合による金員を支払え。

四  被告は、原告銘苅全積に対し、昭和四八年三月二九日から右(四)の土地の明渡しずみまで年額金八万七、七〇〇円の割合による金員を支払え。

五  被告は、原告銘苅全英に対し、昭和四八年三月二九日から右(五)及び(六)の土地の明渡しずみまで年額金二四万五、一〇〇円の割合による金員を支払え。

六  被告は、原告銘苅光に対し、昭和四八年三月二九日から右(七)の土地の明渡しずみまで年額金二万三、三〇〇円の割合による金員を支払え。

七  被告は、原告銘苅全心に対し、昭和四八年三月二九日から右(八)の土地の明渡しずみまで年額五万一、二〇〇円の割合による金員を支払え。

八  被告は、原告銘苅初子に対し、昭和三九年四月二八日から右(九)の土地の明渡しずみまで年額六万六〇〇円の割合による金員を支払え。

九  被告は、原告銘苅全徳に対し、昭和四八年三月二九日から右(一〇)の土地の明渡しずみまで年額一八万六、八〇〇円の割合による金員を支払え。

一〇  被告は、原告銘苅義雄に対し、昭和四八年三月二九日から右(一一)の土地の明渡しずみまで年額金四一万一、五〇〇円の割合による金員を支払え。

一一  被告は、原告宮城ウトに対し、昭和四八年三月二九日から右(一二)の土地の明渡しずみまで年額金三万五、七〇〇円の割合による金員を支払え。

一二  被告は、原告我如古ウトに対し、昭和四八年三月二九日から右(一三)の土地の明渡しずみまで年額金三万八、七〇〇円の割合による金員を支払え。

一三  原告らのその余の請求は、いずれもこれを棄却する。

一四  訴訟費用は、原告嘉陽宗助と被告との間においては全部同原告の負担とし、その余の原告らと被告との間においてはこれを二分し、その一を同原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が別紙物件目録記載(一)の土地につき昭和四四年六月五日なした村道(現市道)一号線の区域決定及び供用開始の公示はこれを取り消す。

2  被告が別紙物件目録記載(二)ないし(一三)の各土地につき昭和四八年三月二八日なした市道六二号線の区域決定及び供用開始の公示はこれを取り消す。

3  被告は、原告嘉陽宗助に対し、昭和四四年五月二四日から右(一)の土地の明渡しずみまで年額金二一万一、五〇〇円の割合による金員を支払え。

4  被告は、原告古波蔵伍政に対し、昭和四八年三月二九日から右(二)の土地の明渡しずみまで年額金五万三、七〇〇円の割合による金員を支払え。

5  被告は、原告西原三郎に対し、昭和四八年三月二九日から右(三)の土地の明渡しずみまで年額金四万五、七五〇円の割合による金員を支払え。

6  被告は、原告銘苅全積に対し、昭和四八年三月二九日から右(四)の土地の明渡しずみまで年額金一三万一、五五〇円の割合による金員を支払え。

7  被告は、原告銘苅全英に対し、昭和四八年三月二九日から右(五)及び(六)の土地の明渡しずみまで年額金三六万七、六五〇円の割合による金員を支払え。

8  被告は、原告銘苅光に対し、昭和四八年三月二九日から右(七)の土地の明渡しずみまで年額金三万四、九五〇円の割合による金員を支払え。

9  被告は、原告銘苅全心に対し、昭和四八年三月二九日から右(八)の土地の明渡しずみまで年額金七万六、八〇〇円の割合による金員を支払え。

10  被告は、原告銘苅初子に対し、昭和四八年三月二九日から右(九)の土地の明渡しずみまで年額金九万九〇〇円の割合による金員を支払え。

11  被告は、原告銘苅全徳に対し、昭和四八年三月二九日から右(一〇)の土地の明渡しずみまで年額金二八万二〇〇円の割合による金員を支払え。

12  被告は、原告銘苅義雄に対し、昭和四八年三月二九日から右(一一)の土地の明渡しずみまで年額金六一万七、二五〇円の割合による金員を支払え。

13  被告は、原告宮城ウトに対し、昭和四八年三月二九日から右(一二)の土地の明渡しずみまで年額金五万三、五五〇円の割合による金員を支払え。

14  被告は、原告我如古ウトに対し、昭和四八年三月二九日から右(一三)の土地の明渡しずみまで年額金五万八、〇五〇円の割合による金員を支払え。

15  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録記載の(一)の土地は原告嘉陽宗助、同(二)の土地は原告古波蔵伍政、同(三)の土地は原告西原三郎、同(四)の土地は原告銘苅全積、同(五)及び(六)の土地は原告銘苅全英、同(七)の土地は原告銘苅光、同(八)の土地は原告銘苅全心、同(九)の土地は原告銘苅初子、同(一〇)の土地は原告銘苅全徳、同(一一)の土地は原告銘苅義雄、同(一二)の土地は原告宮域ウト、同(一三)の土地は原告我如古ウトの各所有である。

2  浦添村は、昭和四四年六月五日、琉球政府一九六五年立法第六四号による道路法(以下「旧道路法」という。)第一二条により村道一号線の区域決定及び供用開始の各公示をして一般通行の用に供し、その後浦添村が被告浦添市に昇格したのに伴つて村道一号線は市道一号線と改称されて現在に至つているが、別紙物件目録記載(一)の土地は右一号線道路敷地の一部分として使用されている。

3  被告は、昭和四八年三月二八日、道路法第一八条により市道六二号線の区域決定及び供用開始の各公示をして一般通行の用に供し現在に至つているが、別紙物件目録記載(二)ないし(一三)の各土地はいずれも市道六二号線の道路敷地の一部分として使用されている。

4  村道一号線及び市道六二号線の各区域決定及び供用開始の公示はいずれも、少くとも右各土地に関する限り、村・市道の用に供するために必要な権原の取得をせずになされたものであるから、違法である。

5  被告が別紙物件目録記載(一)の土地を村道ないし市道として、同(二)ないし(一三)の各土地を市道としてそれぞれ使用して占有しているのは、被告の故意又は少なくとも過失による不法行為であり、原告らは右不法行為によつて右各土地の使用収益を妨げられて損害を被つているところ、右各土地の各供用開始の公示日以降の相当賃料額はいずれも三・三平方メートル当り年額一、五〇〇円である。

6  よつて、原告嘉陽宗助は被告に対し、別紙物件目録記載(一)の土地についてなされた村道(現市道)一号線の区域決定及び供用開始の公示の取消し並びに昭和四四年五月二四日から右(一)の土地の明渡しずみまで三・三平方メートル当り年額一、五〇〇円の割合による損害金の支払を、その余の原告らは被告に対し、別紙物件目録記載(二)ないし(一三)の各土地についてなされた市道六二号線の区域決定及び供用開始の公示の取消し並びに市道六二号線の供用開始の公示日の翌日である昭和四八年三月二九日から右(二)ないし(一三)の各土地の明渡しずみまで三・三平方メートル当り年額一、五〇〇円の割合による損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の各事実は認める。

2  同4及び5は争う。別紙物件目録記載(一)の土地についての賃料額は、年間三・三平方メートル当り昭和四四年五月一日時点で一〇九円、昭和五〇年八月一日時点で三七三円が相当であり、また、同目録記載(二)ないし(一三)の各土地についての賃料額は、いずれも年間三・三平方メートル当り昭和四八年五月一日時点で二八四円、昭和五〇年八月一日時点で三六〇円が相当である。

三  被告の主張

1  村道一号線(現在市道一号線)について

村道一号線は、被告が市に昇格する以前の浦添村であつたときに供用を開始された公有水面埋立地に通ずる道路である。浦添村議会は、昭和四四年五月一六日村道一号線(起点軍用道路港川四七九、終点港川越地原港川五一二ノ二、経過地港川越地原、延長二、一一一メートル)の路線認定の議決をし、これに基づき同月二四日浦添村長は村道一号線の路線認定の公示をし、同年六月五日道路管理者である浦添村は村道一号線の区域決定及び供用開始の各公示をしたものであつて、右区域決定及び供用開始の各公示は旧道路法所定の手続を経て適法になされている。

2  市道六二号線について

市道六二号線は、石川産業株式会社によつて住宅団地が造成された際道路敷が構築され、市道として供用を開始される以前から一般公衆用の道路として使用されていたものであつて、右団地に居住する住民から被告に対し、右道路を整備してほしい旨の強い陳情が度々あり、被告としても右地域の環境整備を他の地域並みにするためには右地域の幹線部分にあたる右道路を市道とすることによつて被告が管理するのが望ましいという行政上の見地からして市道としたものである。浦添市議会は、昭和四八年三月二〇日市道六二号線(起点港川五三五、終点港川五六四、経過地石川住宅内、延長五四〇メートル)の路線認定の議決をし、同月二八日、浦添市長が右議決に基づき市道六二号の路線認定の公示をすると同時に、道路管理者である被告は市道六二号線の区域決定及び供用開始の各公示をしたものであつて、右区域決定及び供用開始の各公示は道路法所定の手続を経て適法になされている。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張の各事実はすべて認めるが、本件区域決定及び供用開始の各公示が適法であることは争う。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件各区域決定及び供用開始の公示の取消しを求める訴えについて

行政事件訴訟法第一四条によると、取消訴訟は処分の日から一年を経過したときは正当な理由がない限り提起することができないとされている。本件において村道一号線の区域決定及び供用開始の公示がなされたのは昭和四四年六月五日、市道六二号線の区域決定及び供用開始の公示がなされたのは昭和四八年三月二八日であることは、いずれも当事者間に争いがなく、また、右各区域決定の公示の取消しを求める本訴が提起されたのは右各区域決定の公示があつた日からいずれも一年以上を経過した昭和四九年一〇月一四日であることが記録上明らかであるから、原告らの本訴請求中右各区域決定及び供用開始の公示の取消しを求める部分はいずれも出訴期間経過後に提起された不適法な訴えとして却下を免れない。

もつとも、右各供用開始決定が、その取消しをまつまでもなく当然無効であり、原告らがその無効を前提に損害賠償請求をなしうることは後記のとおりである。

二  原告嘉陽宗助の損害賠償請求について

1  当事者間に争いのない事実

別紙物件目録記載(一)の土地が原告嘉陽宗助の所有であること及び浦添村が昭和四四年六月五日旧道路法第一二条により右土地を村道一号線の道路敷地の一部分として供用開始の公示をして一般通行の用に供し、その後浦添村が被告浦添市に昇格したのに伴つて村道一号線も市道一号線と改称されて現在に至つていることは当事者間に争いがない。

2  村道一号線の供用開始の公示について

被告の主張1記載の事実は当事者間に争いがなく、これによれば村道一号線の供用の開始は形式上旧道路法所定の手続を経てなされている。しかしながら、旧道路法において、道路の供用を開始するためには、道路の敷地について、道路管理者が所有権等の権原を取得していることが必要であることは明らかである。このことは財産権を保障する憲法第二九条からして当然のことであり、また旧道路法が第七八条において市町村道の新設又は改築のために取得した道路を構成する敷地等はそれぞれ当該新設又は改築をした市町村に帰属する旨規定し、同法第七九条において道路の区域が決定された後道路の供用が開始されるまでの間は、何人も、道路管理者が当該区域内にある土地について権原を取得する前においても、道路管理者の許可を受けなければ当該土地の形質を変更する等の行為ができず、これによつて損失を受ける者がある場合においては、道路管理者はその者に対して通常受けるべき損失を補償しなければならない旨規定する等、道路の区域決定後供用開始前に道路の敷地等について、道路管理者が所有権等の権原を取得することを当然の前提とした規定をおいていたことからも明白である。したがつて、道路管理者が道路の敷地等について所有権その他の権原を取得することなく、他人の土地についてなした供用開始の公示は、いわゆる内容の不能な行政行為(行政行為の内容が実現不能な場合)として無効であるといわざるをえない。そして、本件全証拠によるも、被告が現在に至るまで、村道一号線の道路敷地の一部分である原告嘉陽宗助所有の別紙物件目録記載(一)の土地について、所有権その他の権原を取得したことを認めるに足りる証拠がない。そうすると、被告がなした村道一号線の供用開始の公示は無効と解するほかなく、また、その後も右無効な行政行為の瑕疵は治ゆされた事実も認められない。

3  不法行為責任

道路管理者が道路の敷地について所有権等の権原を取得していないため、道路の供用開始の公示が法律上無効であつても、その無効が公に宣言されるまでは右公示が外形上存するので、道路敷地が一般通行の用に供されて事実上道路法による道路として取り扱われている場合には、右道路敷地の占有は道路管理者にあり、これが不法占有となることは明らかであるから、道路管理者において右道路敷地の所有者がその使用収益を妨げられて被る賃料相当額の損害を賠償すべき義務のあることはいうまでもない。

本件において、村道一号線の道路管理者である浦添村が本件無効な供用開始の公示によつて別紙物件目録記載(一)の土地を村道として一般通行の用に供し、その後浦添村が被告浦添市に昇格した以降は、被告が右土地を市道一号線の道路として引き続き一般通行の用に供して不法に占有していることは前記1及び2から明らかなところである。そこで、右不法占有による損害の有無について検討するに、成立に争いのない乙第一号証、証人又吉清輝の証言及び原告嘉陽宗助の本人尋問の結果を総合すると、原告嘉陽宗助は昭和四〇年一二月公有水面埋立の免許を受け、翌四一年一月ころ公有水面埋立の作業をするために別紙物件目録記載(一)の土地に道路(私道)を開設して、約二万三、一〇〇平方メートル(七、〇〇〇坪)の公有水面を埋め立てたこと(右土地上に道路を開設しなければ埋め立ては不可能であつた)、右埋立がほぼ終了するころ座波建設が右原告嘉陽宗助の埋立地に接続した公有水面を約七万九、二〇〇平方メートル(二万四、〇〇〇坪)埋め立て、そのころ右各埋立地中に右(一)の土地上の道路に接続して更に新たな道路が開設されて公道から海岸に至る唯一の道路となつたこと、被告(当時浦添村)は右(一)の土地を含む海岸に至る道路全部をそのまま昭和四四年六月五日村道一号線として供用開始の公示をしたこと、その後被告は右一号線の沖合いの公有水面を埋め立てたこと、右一号線の供用開始の公示前は、右(一)の土地は座波建設や大城物産の関係者等が利用していたが、これらの者から原告嘉陽宗助が右(一)の土地の通行料等を徴してはいなかつたこと、右各埋立地は現在原告嘉陽宗助らから埋立地を買い受けた者らが使用しているが、これらの者にとつて右一号線は埋立地から公道に通じる唯一の道路であることが認められる。以上の事実によれば、別紙物件目録記載(一)の土地は右一号線の供用が開始される以前から事実上一般公衆の交通に供する道路として無償で利用されていたものであり、また、右一号線の供用が開始され村道ないし市道として使用されると否とにかかわらず、原告嘉陽宗助は右埋立地を分譲した人達に対し無償で右(一)の土地を道路として維持存続させる義務(右埋立分譲地に所用のある者につき無差別に右(一)の土地を通行させなければならない義務)を負つており、これを道路以外の他の用途に使用することはできなかつたものと認められる。右事情に照して考えると、被告が右(一)の土地を村道ないし市道一号線の道路敷地として一般通行の用に供することは不法占有には該当するけれども、右(一)の土地について村道一号線としての供用開始の公示がなかつたとしても被告が右土地について賃料を取得し得たとは考えられないから、所有者である原告嘉陽宗助が被告の右行為によつて賃料相当額の損害を被つたと認めることはできない。

三  原告古波蔵伍政ほか一〇名の損害賠償請求について

1  当事者間に争いのない事実

別紙物件目録記載(二)の土地は原告古波蔵伍政、同(三)の土地は原告西原三郎、同(四)の土地は原告銘苅全積、同(五)及び(六)の土地は原告銘苅全英、同(七)の土地は原告銘苅光、同(八)の土地は原告銘苅全心、同(九)の土地は原告銘苅初子、同(一〇)の土地は原告銘苅全徳、同(一一)の土地は原告銘苅義雄、同(一二)の土地は原告宮城ウト、同(一三)の土地は原告我如古ウトの各所有であること及び被告が昭和四八年三月二八日道路法第一八条により右(二)ないし(一三)の各土地につき市道六二号線の道路敷地の一部分として供用開始の公示をして一般通行の用に供し現在に至つていることは当事者間に争いがない。

2  市道六二号線の供用開始の公示について

被告の主張2記載の事実は当事者間に争いがなく、これによれば市道六二号線の供用の開始は形式上道路法所定の手続を経てなされている。しかしながら、道路法においても旧道路法と同じく、道路の供用を開始するためには、道路の敷地等について、道路管理者が所有権その他の権原を取得していることが必要であることは前述のとおりである。したがつて、道路管理者が道路の敷地について所有権その他の権原を取得することなくなした道路の供用開始の公示は、無効であると解されるところ、本件全証拠によるも、現在に至るまで、被告が市道六二号線の道路敷地の一部分である原告古波蔵伍政ほか一〇名所有の別紙物件目録記載(二)ないし(一三)の各土地について、所有権その他の権原を取得したことを認めるに足りる証拠がない。そうすると、被告がなした市道六二号線の供用開始の公示は、右各土地に関する限り、無効と解するほかなく、また、その後も右無効な行政行為の瑕疵は治ゆされた事実も認められない。

3  不法行為責任

本件において、市道六二号線の道路管理者である被告が本件無効な供用開始の公示によつて別紙物件目録記載(二)ないし(一三)の各土地を市道として一般通行の用に供して不法に占有していることは前記三の1及び2から明らかなところである。そこで、右不法行為による損害の有無及び額について検討するに、原本の存在とその成立に争いのない甲第六、七号証、成立に争いのない甲第四号証及び乙第一号証、証人又吉清輝の証言並びに原告銘苅全英の本人尋問の結果を総合すると、市道六二号線の周辺の土地は、以前はアメリカ合衆国の軍用地であつたが、軍用地から解放された二年後の昭和三三年八月二八日、その所有者である原告古波蔵伍政らは、石川産業株式会社に対し、別紙物件目録記載(二)ないし(一三)の各土地を含む旧軍用地を一括してアメリカ人を対象とする貸住宅所有の目的で三・三平方メートル当り年額一五B円(一二・五セント相当)の約定により賃貸したこと、右賃貸借契約後石川産業株式会社は旧軍用地を宅地造成して貸住宅を建築し、その際別紙物件目録記載(二)ないし(一三)の各土地上に道路(私道)を開設して右貸住宅の住民の通行の用に供したこと、石川産業株式会社は右私設道路の道路敷となつた右各土地についても他の住宅敷地となつた土地と同一割合の賃料を支払つていたこと、昭和三九年ころ原告古波蔵伍政らは石川産業株式会社を相手方として旧軍用地の地代を三・三平方メートル当り年額五〇セントに値上げすることを求める訴えを中央巡回裁判所に提起し、右訴訟は昭和四四年二月二五日上告棄却によつて確定したが、その結果旧軍用地の地代は昭和三五年八月一八日以降三・三平方メートル当り年額二五セントとなつたこと、その後石川産業株式会社は前記貸住宅を売却し、原告古波蔵伍政らとの間の前記賃貸借契約を合意解約したので、原告古波蔵伍政らは右貸住宅を買い受けた者らと個別にその敷地等について賃貸借契約を締結し、その賃料は少なくとも三・三平方メートル当り年額一、〇〇〇円であること、昭和四八年三月二八日被告は前記石川産業株式会社が開設した旧軍用地内の私設道路をそのまま市道六二号線として供用開始の公示をしたが、右公示後、前記貸住宅を石川産業株式会社から買い受けた者らは、右市道とされた部分の地代の支払を、当該土地が正式に市道の道路敷とされたことを理由に、拒否していることが認められる。これらの事実によれば、別紙物件目録記載(二)ないし(一三)の各土地の所有者である前記原告古波蔵伍政ほか一〇名は、右各土地について被告が本件無効な市道六二号線の供用開始の公示をして一般通行の用に供しているために、右公示以降右各土地の賃料ないし通行料をその使用者から徴することが事実上できなくなり、少なくとも三・三平方メートル当り年額一、〇〇〇円の割合による賃料相当額の損害を被つているといわざるを得ない。したがつて、被告は前記原告古波蔵伍政ほか一〇名に対し、右損害を賠償すべき義務がある。なお、鑑定人仲村実仁の鑑定は、右各土地が公衆用道路敷であるという現況における賃料額を算定しているから採用できない(道路供用開始の公示が無効である以上、右各土地が隣接の宅地とともに一括して賃貸された場合の賃料額を算定すべきである。)。

四  結論

以上のとおり、本訴請求のうち、原告嘉陽宗助の被告に対する村道一号線のうち別紙物件目録記載(一)の土地についてなされた区域決定及び供用開始の公示の取消しを求める訴え及びその余の原告らの被告に対する市道六二号線のうち同目録記載(二)ないし(一三)の各土地についてなされた区域決定及び供用開始の公示の取消しを求める訴えは、いずれも出訴期間経過後に提起された不適法な訴えであるから却下し、同原告らの損害賠償の請求は、市道六二号線の供用開始の公示日の翌日である昭和四八年三月二九日から別紙目録記載(二)ないし(一三)の各土地の明渡しずみまで三・三平方メートル当り年額一、〇〇〇円の割合による損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、原告嘉陽宗助の損害賠償の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 庵前重和 陶山博生 岡光民雄)

(物件目録、図面等 省略)

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